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旧制松本高等学校と自動販売機
a0003909_17482962.jpg先月24日に亡くなられた北杜夫さんを偲んで。

松本市あがたの森公園は、旧制松本高等学校の敷地を整備したもので、旧制松本高等学校の校舎が保存されているほか、「旧制高等学校記念館」が併置されています。
北さんは旧制松本高等学校の出身で、「ドクトルまんぼう青春記」には北さんの過ごした思誠寮のことが多く描かれています。その思誠寮には北さんの書いた落書きが残されていたことは、高校時代から承知していたのですが、すぐお隣(松本県ケ丘高等学校はあがたの森に隣接)に毎日通っていたにもかかわらず、一度もそこへ訪れておりませんでした。
いま、北さんの過ごした「思誠寮」は解体されたところですが、北さんのを含む板に書かれたいくつもの落書きは、旧制高等学校記念館に残されています。
その落書きは、こちら→。

a0003909_1884822.jpgWikipediaには、私の学んだ信州大学(私は院だけだが)は、『旧制松本高等学校、新八医科大学である旧制松本医科大学(旧松本医学専門学校)、旧制長野県立農林専門学校(旧長野県立農林専門学校)、旧制上田繊維専門学校(旧上田蚕糸専門学校)、旧制長野工業専門学校(旧長野高等工業学校)、長野師範学校等を統合し、1949年に新制大学となった。』と記されている。それならばいっそ同窓会も統合したほうがよい、さもなくば旧制松高同窓会はどんどん萎んでいってしまうのではないか。そのようなことを考えながら松本高等学校の文字の入った法被を買う。しかし、まとまりのある旧制松本高校に比べ、総合大学である信州大学はあまりに大きい。そのような組織の中では、機関紙発行などの事業を行うことさえ困難なのかもしれない。
松本高等学校の校章は中央の「高」から9本の線が放射状に伸び9高を示す。この校章はよろしくないと学生から動議が出され、学校側も了解したのだが、代案がなくこのままに留まったらしい。

a0003909_1894326.jpg記念館をでてシベリア杉の並木を歩くと、レンガ造りの建物に沿って、2台の自動販売機が置かれている。その姿は、ほとんどの自動販売機がそうであるような派手派手しい装いではなく、シベリア杉とレンガの建物の中に溶け込むような佇まい。空容器入れも同様なのでした。さすが。
さすがといえば、記念館の展示にも、旧制高等学校の気骨を示す展示が多く、文章もその渾身の思いが伝わる名文ばかりでありました。

そんな中で愉快であったのが「寮の不文律(昭和12年寮生規約)」のひとつ
一 寮内には絶対に女性を引き入るべからず。ただし母、姉妹、その他恋人、許婚等止むを得ざる場合は総務委員長の許可を得べし。
・・・これはいったいなにが絶対に女性を引き入るべからずだかよくわからないのだが。へんなところに目が行ってごめんなさい。
話のわかる総務委員長だといいなぁ。ねえ、北さん。
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by epole | 2011-11-26 18:10 | 景観と自販機
久々に権堂の先のフジタカの自動販売機
a0003909_18164448.jpgはてさて。この自動販売機は、家の壁に半分めり込んだように設置されていて、機械の製造者がフジタカだけに、販売品目がおでん缶やら焼き鳥缶やらだったので、ものめずらしさからこのブログのどこかに書いていたと思ったのですがみあたらない。もっと愛情を持たなければいけないと反省をするところです。

ひさびさに注視すると、おでん缶やら焼き鳥缶やらはなくなり、販売されているのは飲料のみ。さらに、本来ディスプレイ上には2段×6本の商品が置かれるところを、下段中央2箇所が抜けていてあまりかわいがられていない、廃自販機に片足を突っ込んだような風情でありました。

しかしながらよく見ると、上段にはファンタやペプシネックスやセブンアップの約500mlペットボトル入りが製造者の境を越えて100円で販売されています。
いじらしいね。
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by epole | 2011-11-12 18:17 | 販売品目に注目
自転車に乗る漱石 百年前のロンドンの自動販売機
イギリスにおける絵葉書人気を決定付けたのはボーア戦争(1899-1902)であった。大判の葉書が認可されたのとちょうど同じ頃で、南アフリカで活躍するイギリス軍人の姿が、ユニオン・ジャックの旗のもとに雄々しく描かれた絵葉書が人気を博した。漱石はロンドン到着の翌日、「南亜ヨリ帰ル義勇兵歓迎ノタメ非常ノ雑踏ニテ困却セリ」(1900年10月29日)と、日記に書いている。
おりしも1900年頃を境にカラーの絵葉書が出回るようになり、コレクターたちの収集熱を駆りたてた。この年の7月にはコレクターを対象にした雑誌「ザ・ピクチャー・ポストカード・マガジン」(図版47)が誕生し(漱石の渡英は同年10月である)、毎号表表紙にタックス社が全面広告をうち、消印のあるわが社の絵葉書を最も多く集めた者に1000ポンドの賞金を出す、と宣伝した。主要な鉄道駅には自動販売機が設置され、絵葉書用携帯ペンやアルバムが市販され、各地に絵葉書クラブが結成された。郵便配達夫のかばんはメッセージのない絵葉書でいっぱいになった。コレクター宛てに各地のコレクターから送られてきた絵葉書である。まさに絵葉書黄金時代の到来である。

わたくしが読んでいるこの本は、清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書689  2001年12月25日第1刷発行)

漱石の時代、イギリスではたばこの自動販売機があったと記す書籍を見て、たばこ好きの漱石のこと、もしや彼の書籍のいずこにかたばこの自動販売機に関する記載がないかと、彼の書籍・書簡集を隅から隅まで探したのですが、まだその発見に至っていません。そんな中で、漱石の日記と、漱石の滞英したころのロンドンの様子をシンクロさせたこの本に出会ったのがほんの数日前のこと。
漱石の日記の中には「3月19日 Craig氏ニ至ル。・・・・・・夜入浴、烟草四箱ヲ買フ。」といった、たばこを買った旨の記載はあるようなのだが、たばこの自動販売機に関する記載はされていないのか。
そんななかで、漱石が日本にいる子規あてに大量の絵葉書を出したといった話(「16 絵葉書を子規に送る」)の中で突如出現した1900年当時の駅に設置された自動販売機の記載。文脈上、この自動販売機は「絵葉書の自動販売機」か「絵葉書用携帯ペンの自動販売機」か、あるいは「アルバム」なんだろうが、これは参考書籍をあたってみないといけない。

漱石も駅に置かれた自動販売機を使ったのだろうか。
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by epole | 2011-11-09 20:58 | 小説にみる自販機
北杜夫さんを悼む
東京に電車で行くときに北さんと一緒になったことがある。奥さんと娘さんが改札口まで見送りにきていた。左折して自販機でお二人が見えなくなったときに、北さんは急に落ち着かなくなり、「ビールは売っていませんか」と自販機をひとつひとつ調べだした。私は自分が車内で飲むために缶ビールを沢山持っていたので、「これでよかったら二人で飲みませんか」と言うと、「ああ、よかった。僕はビールを飲まないと死んでしまうのです。これで命が助かりました」と北さんは大喜びだった。

私が読んでいるこの文章は、「北杜夫さんを悼む 夢中で読んだ長編『楡家』」(加賀乙彦著 平成23年10月27日付け日本経済新聞〔文化〕)

中学生のころ、なぜか「ドクトルまんぼう」ものにハマッた私は、北さんの文庫本を買いまくった。ドクトルまんぼうの延長で、「少年」やら「楡家の人々」やら「夜と霧の隅で」なども読んだのだが、何が書いてあるのかは理解していなかったように思う。とりあえず読んだだけの読んだ実績だけを積んだわけで、現在の「勉強はするけれど身にならない」という状況はそのころに培ったものなのかもしれない。しかし、北さんにとっては関係のない話で、とんだ言いがかりというものである。
その後北さんが学んだ旧制松本高校のあった隣の高校で学んだり、最終的に旧制松本高校の流れを汲む信州大学大学院に学んだわけだけれど、高校以降は北さんの文学に触れる機会はなくなっていたのだ。
そんな中での北さんの訃報。「鬱病」やら「躁病」やらという言葉と「やあ、あれは躁状態のときに書いたんですよ」という、たしか船乗りクプクプの冒険に関する言葉だけがいま思い出されるだけなのだが、この日本経済新聞の最終面で、北さんを悼む文章に自動販売機が出現しているのも、なにかの運命があるのかもしれない。
こんど、旧制松高の学舎に残る、北さんの落書きを見に行ってこよう。そのそばには、私が3年を過ごした校舎も残っているはずなのだ。
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by epole | 2011-11-06 20:19 | 小説にみる自販機
明治事物起源の自動販売機
自動體量計の始
明治廿一年二三月頃より、府下銀座の岩谷松平の仕掛けたる自動煙草賣函は、久しからずして廃したりしが、同年夏頃より、踏臺に上りて、一銭銅貨を入るれば、己の體量を示すべき自動器械を、浅草公園に仕掛けし者あり。翌年夏ころには府下各所の氷店水茶屋等の前に之を仕掛くるに至れり。

石井研堂著「明治事物起源」(発行所 橋南堂  明治四十年十二月廿五日印刷 明治四十一年一月一日発行)

自動體量計の始
明治九年七月、東京上野公園内大佛下勝覧所のちらしに、
 量體器御一名御試験金二銭、新聞紙縦覧通覧同三銭、集會貸席廉價に御相談可申候とあり。
明治二十一年二三月頃より、府下銀座の岩谷松平の仕掛けたる自動煙草賣函は、久しからずして廃したりしが、同年夏頃より、踏臺に上りて、一銭銅貨を入るれば、己の體量を示すべき自動器械を、浅草公園に仕掛けし者あり。翌年夏ころには府下各所の氷店水茶屋等の前に之を仕掛くるに至れり。
二十九年五月の〔圓珍〕に、一度銭を投じて二人の體量を量る狡猾者のあることを記せり。

石井研堂著「明治事物起源」(刊行所 春陽堂  大正十五年十月十五日印刷 大正十五年十月十八日発行)

「明治事物起源」は、明治期のさまざまな事物について記載した書物であります。初本は明治40年に印刷、翌年発行されており、大正15年になって更に内容を加えて発行がされています。
この際「自動體量計の始」については明治9年7月に、上野公園に「量體器」が置かれた旨の記述が加わっているのであります。
後に発行された他の文献には、自動體量器が「我国にては明治9年7月の頃すでに東京上野公園の中に自動體量計が設置せられ、その試験料は一名につき金二銭であったという。」といった記載をしたものが登場し、それを真に受けた最近発行の書籍も存在するのですが、その内容は明治事物起源の記事に酷似していること、明治事物起源(大正版)以降に発行されていること、そして、上野公園に「自動」體量計を設置したとの資料が他に見当たらないことから、私はそれは「明治事物起源」でいうところの単なる「體量器」を「自動體量計」と誤解して記載したものと考えています。
その上で、日本で最初に設置された自動販売機は「明治二十一年二三月頃より、府下銀座の岩谷松平の仕掛けたる自動煙草賣函」だと考えるのであります。
ただし、この「自動煙草賣函」がどのような物であったかを示す資料にまだ行き着いていないのであります。
いま自動販売機といえば一般的に、お金を入れると自動的に商品が排出される器械をいいますが、例えばイギリスにおいての初期のたばこの自動販売機は、お金を入れると掛金が外れる煙草箱で、購入者は開いた箱の中から煙草をさじですくって、また箱を閉めるといったものでありました。
しかしながら、岩谷商会の煙草製品といえば、「手巻きの口付きたばこ「天狗煙草」」でありまして、さじで煙草の葉をすくうようなものとは異なります。もしかしたら本格的な、お金を入れると商品が出る自動販売機が存在したのかもしれないのであります。
当時の自動販売機について、どなたか史料をお持ちでしたらご提供をいただきたいのであります。
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by epole | 2011-11-06 16:57 | 小説にみる自販機