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日用品の文化誌の飲料水販売機 その2
情報の並置、相対化
また、「世界の縮小型を提示し、人に目から隠された全体を、生物や物の各範疇の見本によって目に見えるものとするという、百科全書的目的を持ったコレクション」を見せようとするものが出てきたとポミアンは言う。コレクションのカタログ同様、18世紀の百科全書もまた、マクロな世界を情報化〈ミクロ化〉して所有し、移動できるようなカタログとしたのだとも言えるだろう。重要なことは、そうした世界のカタログは線的な形式で語るのではなく、フーコーが指摘しているように情報を並置していることである。それは、あらゆる事象を等価な情報とすることでもある。
1754年にはイギリスで、有名なトーマス・チッペンデールによる『ジェントルマンと家具メーカーのための指針』という家具カタログがつくられている。こうしたカタログが出現してきたことは、家具の様式が地域や職業や階級に固有なものであり続けることが、すでにできなくなり、様式が相対化され、等価な情報となったことを示している。つまり、それまでの社会制度と結びついていた様式デザインが商品化され、市場経済のシステムに組み込まれたことを意味する。それは、産業ブルジョアジーの台頭と関連していた。
ここでん、現在の電子書籍についてふれておけば、インターネットが出現してくることによって、たとえばカルフォルニア大学バークレー校のキャンパスに置かれた自動販売機の中でどの販売機の清涼飲料のコンディションがいいのかという情報と、現代思想の新しいシーンに関する情報は等価になり、情報の実質の差異にではなく、いかに早くその情報を手にしているかという速度にその価値が置かれる。世界は電子情報カタログ化される。つまり、次々に新しい情報が並置される電子カタログ的な知のあり方がそこには反映されている。

わたくしが引き続き読んでいるこの本は、柏木博著「日用品の文化誌」(岩波新書(新赤版619) 1999年6月21日第1刷発行)

インターネット上に流れる情報は、殆どは「わたくしにとっては」意味のないもの、自分勝手な思い込みや浮かれた気分、思慮に劣る発言(たとえば先の経済産業大臣の発言のような)と思われるものが多く、それらは真に重要だと「わたくしが」認識する情報に比べて途方もなく多いのは事実であります。しかし、わたくしはそのような海の中から「自分にとって」重要な情報を取得する術を身につけています。
その手法は、カタログの上にあるのでなく、カタログを読み取る手法を消費者が身につけているのだと感じています。
ところが近年はその手法の分析が進み、カタログの方がその姿を変えて、私の手法に適合するように、カタログに優位なようにその形態を変化させてきています。(たとえばアマゾンやグーグル検索のように。)
それは、時に大変便利なことなのではあるけれど、一方で、カタログによる情報の一極化が進むことがとても危険に思えるのであります。
さて、そんなカタログ上に「カルフォルニア大学バークレー校のキャンパスに置かれた自動販売機の中でどの販売機の清涼飲料のコンディションがいいのか」という情報が掲載されたとしたら、それは「わたくしにとって」とても興味深い情報なのだなぁ。
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by epole | 2011-09-12 21:23 | 小説にみる自販機
日用品の文化誌の飲料水販売機
使い捨てる紙コップ
アメリカは紙をそれまでの使い方とはまったく異なった形で使った、新しい紙の文化を生み出したと言っていいだろう。
アメリカでつくられたもっとも象徴的な紙製品は、紙コップである。紙製のコップが考案されたのは1908年のことであった。当初は紙コップそのものが商品として扱われたり販売されたわけではない。最初は、1セント・コインを入れて紙コップで水が飲める販売機がつくられたのであり、つまり、飲料水販売のために紙コップが使われたのである。この飲料水販売機は、ヒュー・ムーアという人がアメリカン・ウオーター・サプライ・オブ・ニューイングランドという会社名でこの商品化したものだ。
たまたまこれと同じ時期に、カンサス州の保健委員をしていた医者のサミュエル・J・クラムバインという人物が、飲料水を飲むのに共同で使うブリキ製のコップが、結核菌を蔓延させる要因になっていると主張した。そして、カンサスのユニオン駅に入って来る列車に備え付けられているブリキ製コップをカンサス大学の細菌学科のM・A・バーバーのところに持ち込んだのである。その結果、結核菌が発見された。結局、カンサス州ではブリキ製共同コップの使用を禁止するということになった。(中略)こうした一連の出来事を背景にして、アメリカの各州で、しだいに共同コップ使用の禁止法が承認されていったのである。
以後、急速に紙コップの市場が形成されていった。ムーアは結局、最終的に紙コップを「デキシー・カップ」という商品名をつけて、独立した商品として売り出すことになった。
道具を他人と共有しない。再使用しない。その結果としての使い捨てが、紙製品という形をとった。

わたくしが読んでいるこの本は、柏木博著「日用品の文化誌」(岩波新書(新赤版619) 1999年6月21日第1刷発行)

いま、行楽等で、大人数で飲み物を共有する時かかせない紙コップの始まり。その起源をアメリカの紙文化に位置づけており、さらにその紙文化の起源が自動販売機に位置づけられているのであります。

わたしが最初に出会った自動販売機は、デパートの踊り場に設置された、機械の上部が透明ドームになっていて、内側からドームの天井に向かって水を吹き上げる、「オアシス」タイプの飲料水販売機でありました。それは脇に組み込まれたカップホルダーからあらかじめ紙カップを取って機械にセットし、10円玉を入れてボタンを押すと、紙コップ一杯の飲料が注がれるというものでありました。このタイプで現在稼働しているのは日本国内では大田市の一台だけと承知しているのであります。
自動販売機では見かけなくなりましたが、いまでも例えば殆どの高速道路のパーキングの給湯器では、小さな小さな紙コップがセットされ、これにお茶などを注いで飲むことができるようになっています。また、一部のスーパーマーケットでは、水を紙コップで供給しています。
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by epole | 2011-09-03 12:03 | 小説にみる自販機