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信濃美術館に自販機はない
a0003909_23385855.jpg信濃美術館で4月10日から開催されてきた「吉村作治の新発見!エジプト展 -国立カイロ博物館所蔵品と」も、明日5月31日で最終日を迎えます。

わたくし前売り券をずっと前に善光寺下のセブンイレブンで購入していたところですが、いよいよおしまいということで、出かけてきたのであります。
エジプトといえば、わたくし最初の海外旅行の目的地がエジプトで、クフ王のピラミッドに入ったり、ツタンカーメンの墓のなかでその圧倒的な壁画に囲まれたり、カイロ博物館でその黄金のマスクとご対面を果たしたことを鮮やかに覚えています。また、ロンドンの大英博物館やパリのルーブル美術館で、多くのエジプトの芸術に触れた記憶がよみがえるのです。(意外と出かけてるなぁ。。。)
今回の展示で驚いたのは埋葬木棺で、その鮮やかな彩色も失われずにいま、わたくしを見つめるのでした。

さて、注目の自動販売機ですが、さすがに県立歴史館のような安直なおみやげ自販機や入場券販売機はなくて、受付できちんと対応され、きもちよく観覧ができるのでした。
ミュージアムショップにももちろん自動販売機はなく、エジプト関連商品や吉村作治さんの作成した伊万里などが販売されていました。これらの収益は、吉村先生のエジプト研究に多くがまわされるようでした。
一番高価なのは、その吉村先生による伊万里の7万円のつぼでありました。

ミュージアムショップは夢を売るものだし、展示品と連携することで、かなり高価なものも購入される確率が高く美術館に収益性が求められる中、販売は大命題であります。そのためにはそれなりのしつらえも必要で、ここで自販機などは言語道断だと思いを強くしたところでありました。

ところでエジプト展は全国でここが最終だということだが、販売品のバーゲンはしないのだろうか。
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by epole | 2010-05-30 23:39 | 自販機にないもの
「ハーモニーの幸せ」の自動販売機
商店街に出ると急に明るくなった。とはいえ店はすべて閉まっているし、人通りもない。飲料水の自動販売機の明かりが、ぼんやりと道路を照らし出している。とぼとぼと歩いていくと、道の先に誰かが立っていて、長いシルエットが私に向かって伸びていた。

私が読んでいるこの本は、
『記憶、過去、そして歴史』(田口ランディ著 「ハーモニーの幸せ」収録 平成14年7月25日)

商店街の明かりの多くは街灯によるものだろうが、より道路に近い飲料自動販売機の明かりはそこをいっそう明るく照らす。ちなみにたばこの自動販売機は午後11時以降は販売停止され、明かりも閉ざされている。

おとといは満月で、月明かりと残雪の山が照らし出す大地の浮かび上がるような明るさをあなたは知っているだろうか。
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by epole | 2010-05-30 17:39 | 小説にみる自販機
「ウタキ夜話」の自販機
時計を見るとまだ十一時だった。部屋には冷蔵庫もないので、仕方なく自販機まで飲み物を買いに降りた。なぜ夢ばかり見るんだ。これじゃおちおち寝てもいられない。ポカリスエットを取り出し、暗い自販機コーナーのベンチでごくごくと飲む。

私が読んでいるこの本は、
『ウタキ夜話』(田口ランディ著 「昨晩お会いしましょう」収録 2001年10月31日第1刷発行)

この短編の冒頭でのサワノ君がフロント脇の業務用冷蔵庫から勝手にオリオンの缶ビールを取り出す描写、階段の踊り場のベンチに座ってオリオンビールを飲む描写があり、この民宿には自動販売機がないのではないかと思われたのだが。大塚の自動販売機がこの民宿には置かれていたようだ。

昨年は那覇と渡名喜島あわせて沖縄には一週間ほど滞在したが、毎日オリオンビールを飲んでいたような気がしている。今日、長野高校近くのスーパーマツヤで、アサヒ飲料が最近本土で販売開始したオリオンビールを買ったのも、この本を読み直したのも、何かの因縁なのかもしれない。
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by epole | 2010-05-30 00:31 | 小説にみる自販機
上に行くほど値段が上がる
a0003909_22395812.jpgわたくしの元にはときおり自動販売機の写真を送ってくださる方がいらっしゃいます。

この山ぎわの自動販売機は、志賀高原の地獄谷にサルを見に行く途中、ある才女が撮って送ってくださった数枚のうちの一枚で、
「500円の駐車代金を払い、猿を見るのに500円払い、自販機は割高で、上に行くほど値段が上がっていました。そんな、地獄谷は私は嫌いです。」
とのコメントが添えられていました。

a0003909_22402179.jpgもちろん「そんな、地獄谷は私は嫌いです。」とはおふざけで、彼女は地獄谷が大好きでたまらないのですが、自動販売機の販売価格が上に行くほど上がるという事実に対して「嫌いだぁぁぁぁ!」という感情はあるのかもしれません。

5年前のこのブログに、一物一価について自らが書いたわけのわからない文章があり赤面しました。
そういえば、昔は標高があがるにつれ、自動販売機の飲料の価格も上がっていきました。ホテルの自動販売機も、一歩外へ出るより数十円高く価格設定されていました。
それはそれで当たり前ではないかなぁ。
いまや長野市郊外の国道18号アップルライン沿いの自動販売機の多くは販売価格が100円ですし、松本平、安曇野あたりでは50円で販売する自動販売機はめずらしくありません。
そんな自動販売機の価格の変化を見るだけで、私は楽しくてしょうがないのだが、意見が合わないのだなぁ。
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by epole | 2010-05-25 22:41 | 自販機いろいろ
自動交付機と高額紙幣
住民票を取りにいったのであります。
窓口の営業時間内にはとてもいくことができないため、安曇野市役所穂高総合支所にある自動交付機を利用しようと、出かける前に念のためHPで確認したところ、利用時間は午前7時から午後7時まで。24時間稼働の自動販売機に慣れていると、不便に感じてしまうのだな。
今日はもう間に合わないからと、翌日早朝えっさかほっさか歩いていく途中、穂高神社の手前らへんで、財布に一万円札と小銭が150円くらいなのに気づく。住民票は300円なのだが、まさか一万円には対応しないだろう。
穂高神社の境内の2台の飲料自販機、一台のおみくじ機をみるが、どちらも一万円札に対応しない。(いつの間にかおみくじは200円となったのだなぁ。)
念のため自動交付機を見に行くと、やはりお札は千円札まで。しょうがないので国道沿いのセブンイレブンで一万円札を使ってでFITSを買い、戻ってめでたく住民票を手に入れる。

途中、旧道沿いにお酒の自販機もあったが、すべてお札は千円札まででした。一時期お酒の自動販売機ではワインとか日本酒とか瓶ビールとかも売られていて結構高額紙幣の需要があったのですが、いまでは自販機荒らしの前でひとたまりもないことでしょう。
近くの自動販売機で一万円札が使えるものを思い浮かべると、とりあえずは駅の券売機くらいしか思いつかない。
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by epole | 2010-05-22 11:11 | 自販機の空間
「旅人の心得」の自動券売機
電車がホームに入って来るのに、キヨスクが混んでいてなかなか雑誌が買えない。自分の前のおじさんがノロノロと財布からお金を出している。(ああ、もっと急いでよ。お金くらい用意しておけよ)私は内心、地団駄を踏んでイライラする。駅の券売所で、おばあさんが自動券売機の使い方がわからずにオタオタしている。後ろには長蛇の列。焦っているのでますますおばあさんは切符を買えない。(まったくもう、ちゃんと行き先の金額を確かめてから買ってよ。)私はまたしてもイライラする。

私が読んでいるこの本は、
『旅人の心得』(田口ランディ著  平成15年6月5日初版発行)

そういえば、駅のホームにたくさんある飲料自動販売機は、それほど購入する人を見かけないのになぜこれほどたくさんおかなければならないのかと思っていたのですが、電車の待ち合いの短時間に、自動販売機での購入に時間がかかる人がいたとしても、自動販売機の台数を増やし、他の自動販売機での対応により短時間に大量のお客をさばく意味合いもあるのでしょう。

短時間に欲望を満たそうとする需要に応えるには、機械的に窓口を増やし素早く対応することが効果的ですが、リピーターを増やすような印象づけがないのだなぁ。
特に、効率を追求し、すべての場所での購入窓口、自動販売機が画一化することにより、商店の魅力は急速に薄らいでいく。
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by epole | 2010-05-20 21:31 | 小説にみる自販機
豊科温泉湯多里山の神の自動販売機
a0003909_234738100.jpg信州大学経済学部は松本市内の信州大学本部キャンパスのなかにあり、社会人大学院である地域社会イニシアティブコースも、その校舎のなかで講義を行っておりました。
講義は土曜日または平日の午後6時過ぎに行われ、われわれ院生は平日は午後9時過ぎに授業を終えて家路につく日々でしたが、私は大学から松本市街地に入らず山を越え、篠ノ井線田沢駅まで真っ暗な道を自転車で走ったものでありました。

先日久々に(2年ぶりくらいに)大学院の授業に参加し、その後夕刻その道を自転車で走ってみますと、当時なかった自動販売機が目に留まったのでありました。それは、豊科温泉湯多里山の神の自動販売機。

a0003909_2348236.jpgもともと県道沿いのこの場所にはこんな立派な施設はなかったと思う山のきれいなところに黒塗りの大農家風の建物が建てられ、そこに続く橋も木造調なのですが、そこまで調和にこだわったはずが、建物に付随して真っ赤な自動販売機が置かれています。これはいったい!?

せっかく建築家が心を込めて設計しても、せっかく大工さんが技術を尽くして建てても、そこに住まう、そこを使用するひととつながらなければすべてが台無しになるという。。。建物は作るのも大事なのだが、使うことがいっそう大事で、使い方を見れば、使っている人の意識がわかってくるのだなぁ。

でも、それは私のように、気づいたひとが言わなければわからないのかもしれない。こんなところでとやかく批判めいたことばかり言っていないで、そんなことまで気が回らない人にささやかな助言をさしあげる。それが私の務めなのだ。
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by epole | 2010-05-18 23:48 | 自販機の空間
「アンテナ」の自動販売機
その日は彼女の仕事が休みの日でさ、二人で買い出しに行って、刺し身だの鶏肉だのたくさん買い込んで、ビールを冷蔵庫に冷やして、のんびり一杯やろうとしていたんだ。あいつは唐揚げが好きな女でさ、山盛り揚げるんだよ、油がはねて火傷しながら。俺は、タバコが切れたのを思い出して、タバコ買ってくるわ、って、部屋を出たんだ。当時は西新宿の狭いマンションに住んでた。タバコ屋はマンションから三十メートルほどのところにあった。自動販売機でタバコを買って、だらだらと部屋に戻ってきた。台所からはプチプチと油のはねる音がしていた。俺は冷蔵庫を開けてビールを取り出し、先に一杯やってるからな、と声をかけた。返事はなかった。

私が読んでいるこの本は、
『アンテナ』(田口ランディ著  2000年10月31日第1刷発行)

タバコっていうのはほぼ価格が固定しているから、海外旅行で免税品を求めたり、パチンコで中途半端に出玉が残ったり、あるいはデパートでよほどきれいなおねいさんが販売していない限り、小売店で、他の食材とともに購入することはなさそうだ。特に近くに自動販売機がある場合には。

ここで「マンション近くにある」と認識されているのは「タバコ屋」である。しかしながら、当時「俺」がタバコを購入するのは「自動販売機」からである。

10年後、2010年の今では、タバコ屋の存在に関係なく、さまざまな場所に、店舗前にタバコの自動販売機は存在している。
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by epole | 2010-05-16 21:17 | 小説にみる自販機
「モザイク」の自動販売機
公園の砂場で遊んでいた。暖かないいお天気の日だった。母は「ジュースを買ってくるから」と言い、道路の向こう側にある自動販売機を指さした。私は頷いて、また砂遊びに夢中になった。母が砂の中に私の好きなガラスのビー玉を埋めたのだ。それを掘り出して色ごとに集めることに夢中になっていた。次に顔を上げたときには母の姿が消えていた。

私が読んでいるこの本は、
『モザイク』(田口ランディ著  2001年4月30日第1刷発行)

「私」に残る母の記憶には、大きく自動販売機が映り込んでいる。
4歳の子供と母との間に、自動販売機は当然なものとして入り込むことができるのだろうか。

先日から意識して公園と自動販売機の位置関係を注視しているのだが、意外と公園内には自動販売機が設置されていないことに気づく。
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by epole | 2010-05-16 20:56 | 小説にみる自販機
「コンセント」の自動販売機
「なんでここに?」二人で同時に同じ言葉を口にして、目を見合わせて吹き出した。それから律子に誘われるままに、学内にある自販機コーナーの椅子に腰を降ろした。クーラーが効いていないのでひどく暑い。自販機に小銭を投入しながら話す律子は、まるで十年前からの親友のようだ。
(中略)
どこかの駅前みたいだった。アーケードのついた小さな商店街が見える。バス停があって何台ものバスが並んでいる。古びた改札と券売機、不動産屋、タバコ屋、コンビニ、ポスト、自転車置き場、信号、本屋・・・・・・。錆びたベンチがある。座ろう。座って何が起こっているのか頭を整理しよう。私はよろよろとベンチに腰を降ろす。無声映画の登場人物のように目の前を人々がバスに乗り、バスを降り、通り過ぎていく。ひどく眩しい。

私が読んでいるこの本は、
『コンセント』(田口ランディ著  2000年6月10日第1刷発行)

この小説に出現する自動販売機は、大学学内の飲料自動販売機と、駅の券売機である。
そこにはここに文字で表現されない無数の自動販売機が存在し、「私」の目にはそれが映っているはずである。しかし、「私」はそれを認識しない。
タバコの自動販売機はタバコ屋、コンビニ、または本屋に属し、飲料自動販売機もまた同じ。ベンチは飲料メーカーの提供したものかもしれないが、「私」にとってはどうでもよい。座ることができれば、椅子であればよいのだ。

多くの場合、私たちはまちで自動販売機を見ているのでなく、町の姿、店全体を見ているのだ。特別に自動販売機を見ようとしない限り。
それは、自動販売機がどうでもよいということでなく、自動販売機の与える印象が、自動販売機にとどまらず、店全体、町全体の印象としてとらえられてしまうということだと思うのだ。

安易に自動販売機を店先におき、それで店全体、街全体を判断されてはかなわないな。
蛇足だが、自動販売機にコンセントはよく似合う。
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by epole | 2010-05-16 15:01 | 小説にみる自販機