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上野公園の竹垣擬態自動販売機
上野公園の竹垣擬態自動販売機_a0003909_6411224.jpg午後の5時とはいえこの季節、まだ夕暮れには早そうなものですが、小雨の舞う上野公園の林のなかは、そろそろ薄暗く、そのなかに自動販売機のディスプレイ部分が四角く明るく浮き出して見えます。そのようななかにあった一台。

道に沿って竹垣が続いています。その竹垣の一部が四角く光ります。そこにいたのはかぐや姫ではなくて飲料の自動販売機。

その筐体の正面は左右に続く竹垣とまったく変わることがない、一面の竹垣。ディスプレイ部だけが竹で覆われず、不思議な異空間となっています。

ここに自動販売機を置いた人の気持ちが伝わってくる。ただ単純にここに自動販売機を置くのと、このような形で置くのと、これほど気持ちが違うものか。
さらに、ここに自動販売機がなくて竹垣が続いていたとする、その印象と、この自動販売機がある印象では、どちらが好ましく感じるだろうか。

上野公園の竹垣擬態自動販売機_a0003909_6413142.jpg飛騨高山の景観保全地区内には、町並みに完全に同化したたばこの自動販売機がある。その自動販売機にCG処理を施して自動販売機のない状態、赤、白の自動販売機が置かれた状態の写真を作成し、SD法で分析したところ、いくつかの項目で擬態自動販売機が自動販売機がない状態よりも好ましい評価を得た。

この竹垣でも、同様の評価が得られるかもしれない。
竹垣が続くのは自然の姿なのだが、そこにこのような工夫をした自動販売機が置かれることは、それを設置した人の心意気、風情や景観を大切にする気持ちが強く伝わってくるのだ。

いくつかの自治体では、条例により環境を保全しようとしており、そこでは自動販売機も規制の対象となることが多い。それらでは、色度といった数値で機械的に規制をしようとする。しかし、それではこのような自動販売機は生まれてこない。
大事なのは、心が伝わることなのだが。
by epole | 2008-06-03 06:41 | 景観と自販機


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