肌ざわり の自動販売機
そこで駅前の薬屋に行きました。駅前なら人通りも多いし、薬屋にもたくさん人が出入りしていて誰が誰だかわからなくなる。だからそういうドサクサにまぎれて、いつの間にかお金を払ってそれをポケットに入れられる。メンソレータムでもいっしょに買えば、もっとそれが薄められる。目薬や胃薬もいっしょに買えば、もう「ゴム」なんてほとんどわからなくなる。そうだ、歯ブラシとか体温計とか・・・・・・。そんなことをいろいろ考えながら、結局駅前の薬屋もゆっくりと通り過ぎておりました。そしてつぎの薬屋も通り過ぎ、何軒も何軒も薬屋を通り過ぎ、ずいぶん遠くまで行ってしまいました。しかもそれを何往復もしたものだから、その町の薬屋の主人の顔を全部覚えてしまいました。そうなると、もうその町では買えません。結局電車に乗って、いくつもの駅を通り過ぎ、電車の窓からたくさんのアパートの屋根をズラズラと眺めながら、たしか一度も降りたことのない町へ行ってきたのではないでしょうか。その買物を見知らぬ店の人が包んでいる間、
「旅の恥はかき捨て」
なんて言葉について考えていたのを覚えています。もちろんこれは、自動販売機などない時代の話です。いまはもうこんな旅行はしないでしょう。こんな悩み、もういまの日本では絶滅してしまっているのではないでしょうか。

わたくしが読んでいるこの本は、
尾辻克彦 著 『肌ざわり』 (第82回芥川賞候補作)昭和54年下半期

主人公が求めて右往左往しているのはもちろん「薬屋には必ずあるゴムの部品」。こういうものを買うのはある程度の勇気と思い切りが必要なものですが、有事に際しては必要不可欠なものです。
主人公は、自動販売機が普及したことにより、悩むことはなかろうとしていますが、たとえば長野県内ではこの製品の自動販売機は殆ど見かけません。
それではどうしているのだろうと思いますが、コンビニとか、スーパーとかで、さりげなく普通においてあるし、薬屋も大型化がすすんで、以前ほどの緊張はなくなりました。
むしろ、自動販売機をコンビニに言い換えたほうが、現状にはより合うような感じかな。
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by epole | 2007-04-11 07:37 | 小説にみる自販機


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