しょっぱいドライブの自動販売機
a0003909_8423526.jpg「ぼくなにもしてないよ」
と言いつつ、九十九さんはハンドルを持たない手で鈴のぶらさがった小銭入れを出し、いくらあるか勘定している。ひいふうみい、と計算し、ジュースの自動販売機の前で、いる?と言うしぐさをした。
「いえいえもう、父から兄からわたしからお世話になりっぱなしで」
と言いつつ、わたしは、わたしを産んですぐ死んだという母親は、九十九さんみたいだったろうか、と思う。九十九さんはあけた窓から伸びをし、上半身だけ出してあつあつの缶入りのお茶を買う。

わたくしの読んでいるこの本は、

大道珠貴 著 『しょっぱいドライブ』 (第128回芥川賞受賞)
発行所:文芸春秋、2003年3月1日第1刷発行

運転席にいる九十九さんは、年齢は60すぎくらいの男性。小説ののっけから『とにかくとしよりの運転だから』などと「わたし」に評されています。

自動車で飲料自動販売機を利用するというのは思いのほか困難を伴う作業で、それも運転席にいるまま利用しようとすると、国産車の場合だと右側の自動販売機に沿って停めなければならないわけで、これは公道でやるとヤンキーのおにいちゃんみたいなので、駐車場や空き地に限ってできるようなかんじです。
さらに、お金を入れて商品ボタンを押すまではなんとか誰でもできるのですが、商品口におちた飲料を、商品口の透きとおったふたをこちら側にもちあげ、なかの商品をとり上げるのは、よほど二の腕が長くて体の柔らかい人物でなければ成し難い芸当であります。特に車が近すぎたりするとふた自体があかないので、一旦車を移動させるはめになります。
そのようなわけで、たいがいは商品を取り出す作業が思うに任せず、「アヽ、コノヤフナコトデアレバ、当初ヨリ車ヲ降リテ購入作業ヲスヘキデアツタワイ」と後悔するのです。

ジュースの自動販売機であつあつの缶入りのお茶を買うというのは日本特有のもので、世界的にはジュースとあつあつのお茶をひとつの自動販売機で販売することは考えにくいのではないかと思われます。外国語訳をだすとき翻訳注意なのであります。

それにしても、今の常識では「これは困難」とか「当たり前」とすることが、次の時代には理解できないことになっているかもしれない。
小銭入れや硬貨は残るだろうが、商品受け取り口が中央にあって商品がウィーンとうなりをあげてそこにあがって来る自動販売機も実用化されている。(私は電気代がもったいないと思うが、車椅子の方や自動車の運転席にいながら購入するには便利)
このようななにげない所作を将来に保存することも重要と思っているのであります。

さて、今回の小説はいままでになく最近出版のものなので、本文を勝手に引用するのはまずいような気がしています。どうにかして(事後)承諾を得たいと強く考えているところであります。とりあえずは誕生日に免じてお許しください。
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by epole | 2007-03-21 08:43 | 小説にみる自販機


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