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生物と無生物のあいだの自動販売機
ところが、頭三分の一を失ったプリオンタンパク質は、タンパク質xとは結合できないにもかかわらず、中途半端なことに、タンパク質Yとは完璧に結合しうるのだ。そのことによってYは、擬似的にパートナー分子が存在する状況を与えられることになる。そこではバックアップが作動するようなSOSは発信されない。そして情報伝達経路は、何も知らないまま、さらに複雑なネットワークを組み立てていく。
やがてマウスは誕生し、道の環境と遭遇する。脳の神経活動はどんどん盛んになり新しいシナプスが形成されていく。おそらくタンパク質Xからタンパク質Yへの情報伝達はこのような脳の発達と関係して必要とされる機能なのだろう。その齟齬は、生まれてすぐにではなく徐々に現れることになる。XとYを橋渡しするはずのプリオンタンパク質は、ここではXの情報を伝達しないまま、Yと結合する。それはちょうど歪んだ硬貨を投入された現金識別装置のようにフリーズを起こすことになる。そして、そのフリーズは自動販売機の機能全体を致命的に停止してしまうことになるのだ。

わたくしが読んでいるこの本は、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」(講談社新書(1891) 2007年5月20日第1刷発行2007年11月7日第12刷発行)

ここで筆者は遺伝子操作により細胞のあるパーツ全てをノックアウトしたマウスがまったく正常そのものであるのに対して不完全な遺伝子をノックインした場合、致命的な以上をもたらすこと、そのことを分かりやすく示す比喩として「歪んだ硬貨を投入された現金識別装置」あるいは「自動販売機の機能全体を致命的に停止」という表現を用いている。
もちろん最近の自動販売機では歪んだ硬貨などは入り口で引っかかってしまい投入し得ないし、あるいはそこを通過したものはきちんと識別装置をとおり、認識され、あるいは認識されずにそこを通り抜けてコトンと落ちる。あるいは硬貨など使用しなくても、FeliCaなどの非接触装置により、自動販売機の機能を使用することは可能である。さらに、自動販売機の機能が多様化するなかで、金銭が投入されること自体が自動販売機の機能を動かす必須の条件とは言えなくなってきている。
さらに違和感を覚えるのは、一般に自動販売機はAという事象を施せば自動的にBという結果が現れる比喩に使われるのだが(もちろん故障してBという事象が起こらない例としても用いられるのだが。)、ここでは実に生物が活動を停止する例になぞらえているのである。この部分では、筆者はここに至った生物の活動はもはや治癒のしようのない不可逆的な、機械的なものと認識しているのか、あるいは自動販売機を、生物になぞらえて観察していたのか。いずれにせよ、私にはすこしつながりに無理を感じるところである。

それにしても、この本の読み応えのあることよ。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。
生物は生きていくため、自らを壊し続け、その以前の姿のまま造られ続ける。生命とは動的平衡にある流れである。
そして生きることをやめたとき、自らを壊し続けることを停止するのだ。
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by epole | 2011-10-15 22:03 | 小説にみる自販機


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