「党生活者」の自動販売機
(前略)私は途中小さいお菓子屋によつて、森永のキャラメルを一つ買つた。それを持つてやつてくると、下宿の男の子供は、近所の子供たちと一緒に自働式のお菓子の出る機会の前に立つてゐた。一銭を入れて、ハンドルを押すとベース・ボールの塁に球が飛んでゆく。球の入る塁によつて、下の穴から出てくるお菓子がちがつた。最近こんな機械が流行り出し、街のどの機械の前にも沢山子供が群がつてゐた。どの子供も目を据ゑ、口を懸命に歪めて、ハンドルを押してゐる。一銭で一銭以上のものが手に入るかも知れないのだ。
私はポケツトをヂヤラゝさせて、一銭銅貨を二枚下宿の子供にやつた。子供は始めはちょつと手を引ツこめたが、急に顔一杯の喜びをあらはした。察するところ、下宿の子は今迄他の子供がやるのを後から見てばかりゐたらしかつた。私はさつき買つてきたキャラメルも子供のポケツトにねぢこんで帰つてきた。(中略)
暫くすると、下のおばさんが階段を上がつてきた。「さつきは子供にどうも!」と云つて、何時になくニコヽしながらお礼をのべて下りて行つた。私たちのやうな仕事をしてゐるもには、何んでもないことにも「世の人並みのこと」に気を配らなければならなかつた。下宿の人に、上の人はどうも変な人だとか、何をしてゐる人だらうか、など思はれることは何よりも避けなければならない事だつた。今獄中で闘争してゐる同志Hは料理屋、喫茶店、床屋、お湯屋などに写真を廻はされるやうな、私達とは比らべものにならない追及のさ中を活動するために、或る時は下宿の人を帝劇に連れて行つてやつたりしてゐる。(後略)

私が読んでいるこの文章は「党生活者」(小林多喜二著。宮本百合子・小林多喜二集(現代日本文學大系55 昭和44年10月25日初版第1刷発行 昭和55年10月30日初版第12刷発行)収録)

宮本百合子・小林多喜二集に収録されている付録中「小林多喜二―死とその前後」(手塚英孝)によれば、この作品の最後の原稿が中央公論に送られたのは昭和7年(1932年)8月24日。中央公論に題を「転換時代」と仮題され、発表されたのが翌昭和8年(1933年)の4、5月号である。多喜二自身はこの発表の直前、昭和8年2月20日、築地警察署特高係に逮捕され、同日絶命した。
多喜二は明治36年(1903年)秋田県に生まれ、明治40年(1907年)から北海道小樽市に移住。昭和5年(1930年)に東京都中野区に移り、以後杉並区、港区内を転々。「党生活者」は港区新網町の下宿で執筆されたもよう。

さて、主人公の「私」は工場をでて、下宿に戻る途中でこの光景に遭遇したようです。ここにでてくる野球盤をもじったゲームつき菓子自動販売機は1回1銭で、子供が群がる盛況なのでした。
日本銀行のHPで現在と貨幣価値を比べてみますと、企業物価戦前基準指数で昭和7年は0.830で平成21年は664.6。これで計算すると当時の1銭は現在の8円程度となります。これだけを考えれば、子供の遊ぶ自動販売機の一回の値段が1銭はさほど高くなさそう。
しかし、本作品中には「女工などは朝の8時から夜の9時まで打ツ通し夜業をして1円08銭にしかならなかった。」との記載があり、これは計算上今の870円程度にしかならないことを考えますと、労働者にとって、自動販売機というものはさほど身近であるとはいえなさそうです。(2010年9月現在の東京都の最低賃金額は時給791円)

そういえば、いまでも私のようなものは、自動販売機でものを購入することを「お金がもったいない」と感じるのですが、自分でお金を稼いでいない子供たちは、それまでさほど欲しいとも思っていなかったのに違いないのに、飲み物の自動販売機で商品を見つけると、とたんにそれが何よりも欲しかったと思い込んでしまうのです。

自動販売機のあふれる日本の風景はそのような、労働者の犠牲のもと、子供たちの歓心を得ることを土台にして出来上がったものなのかもしれません。
ちなみに「私」が子供にやったと思われる森永ポケット用ミルクキャラメルは、大正3年(1914年)の発売時点で20粒入り10銭。でも昭和初期の価格はよくわからない。
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by epole | 2010-09-23 23:08 | 小説にみる自販機


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