「買った買った買った」の自動販売機その2
帰り際、お姉ちゃんの佳苗がひとつだけオネダリをした。同じ年くらいの女の子が手にしていた風船が欲しい、と言い出したのである。見ると、飲み物の自動販売機がずらずらと並んでいる端っこに、風船の自動販売機らしいものがある。
「へー、こんなものがあるのか」
驚きながら近づいてみると、それは確かに風船自動販売機であった。値段はひとつ二百円。色は赤、黄色、青など五色あって、好きなのを選べる。
「私青ね。絶対に青!」
とオネダリ(というか強制だなこれは)されるままに二百円を投入し、青のボタンを押す。機械はみるみる風船を膨らませて、ハイどうぞという感じで、手前の透明ケースの中に出てきた。便利なものである。


わたくしが読んでいるこの本は、
原田宗典著  『買った買った買った』収録『日曜日の風船』(1992年12月15日印刷 1992年12月30日発行)

a0003909_21291796.jpg長野県では先日県知事選挙があり、私も松本市のカタクラモールで選挙広報を行ったのだが、その際の広報グッズが大人に向けては選挙広報ポケットティッシュ、そして子供へは各色の風船でありました。
活動開始前に足踏みポンプで膨らませただけの風船が、子供達にとってはとても素敵なものに見えるようで、多くの子供達が風船を目指して多くの大人を引き連れて集まり、選挙広報活動は大盛況だったのでした。
(そういえば、選挙ポスターの掲示板と自動販売機が写っている写真を撮りながら、アップしていないのを思い出したので、間もなくここに貼り付けることとしよう。)

原田さんが見つけた風船自動販売機が置かれていたのは読売ランドとのことであります。飲料の自動販売機なんぞは大人が買っても子供が買っても結果は同じで、とくだん子供が大人を尊敬するようなものではなく、ただ買ってくれないケチな大人をこどもが軽蔑するだけのものですが、風船の自動販売機を操作し風船を出してくれるお父さんの姿は尊敬の対象となりうるのではないか?いや、結局キカイがすごいのであって、二百円を機械に入れる大人何ぞは当たり前の存在に映ってしまうのかもしれません。

この機械、子供がそのとき喜んで、遊園地の運営者も儲かるし、そのときは得をしたと思うのだが、将来のリピーターにつながらない。飲料の自動販売機も同様で、ただそこにあっただけで、当たり前に金を入れるとモノが出て来るだけの存在であるだけのもの。
心に残るのは人からしてもらう心のこもったサービスで、リピーターはそれを求めるのだ。いくら機械が「ありがとうございました。健康のためすい過ぎに注意しましょう」と言っても、「おおきに」だの「まいどぉ」などと言ったとしても同じことなのだな。
それを心得、いっさいの自動販売機を置かない遊園地がひとつ国内に存在している。
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by epole | 2010-08-24 21:01 | 小説にみる自販機


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