「コンセント」の自動販売機
「なんでここに?」二人で同時に同じ言葉を口にして、目を見合わせて吹き出した。それから律子に誘われるままに、学内にある自販機コーナーの椅子に腰を降ろした。クーラーが効いていないのでひどく暑い。自販機に小銭を投入しながら話す律子は、まるで十年前からの親友のようだ。
(中略)
どこかの駅前みたいだった。アーケードのついた小さな商店街が見える。バス停があって何台ものバスが並んでいる。古びた改札と券売機、不動産屋、タバコ屋、コンビニ、ポスト、自転車置き場、信号、本屋・・・・・・。錆びたベンチがある。座ろう。座って何が起こっているのか頭を整理しよう。私はよろよろとベンチに腰を降ろす。無声映画の登場人物のように目の前を人々がバスに乗り、バスを降り、通り過ぎていく。ひどく眩しい。

私が読んでいるこの本は、
『コンセント』(田口ランディ著  2000年6月10日第1刷発行)

この小説に出現する自動販売機は、大学学内の飲料自動販売機と、駅の券売機である。
そこにはここに文字で表現されない無数の自動販売機が存在し、「私」の目にはそれが映っているはずである。しかし、「私」はそれを認識しない。
タバコの自動販売機はタバコ屋、コンビニ、または本屋に属し、飲料自動販売機もまた同じ。ベンチは飲料メーカーの提供したものかもしれないが、「私」にとってはどうでもよい。座ることができれば、椅子であればよいのだ。

多くの場合、私たちはまちで自動販売機を見ているのでなく、町の姿、店全体を見ているのだ。特別に自動販売機を見ようとしない限り。
それは、自動販売機がどうでもよいということでなく、自動販売機の与える印象が、自動販売機にとどまらず、店全体、町全体の印象としてとらえられてしまうということだと思うのだ。

安易に自動販売機を店先におき、それで店全体、街全体を判断されてはかなわないな。
蛇足だが、自動販売機にコンセントはよく似合う。
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by epole | 2010-05-16 15:01 | 小説にみる自販機


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