「十九、二十」の自動販売機
ぼくは十九歳で、走るのは速いが、歩くのはとてつもなく遅い。例えば十年後、サラリーマンになったぼくは、歩くのが速くなっているのだろうか。そして、走るのは遅くなっているのだろうか。バス通りを曲がる角の自動販売機で煙草を買い、一本ふかしながら部屋へ向かう。夕暮れの気配が濃密になり、陽を背にして歩くぼくの影が路上を長くなぞる。(中略)

あれはいつだったろう。172号教室前の廊下で初めて言葉を交わしてから、僕らは何となく近くに座って講義を受けるようになった。ラウンジで一緒に紙コップのコーヒーを飲んだり、レポートを見せ合ったり。少しずつ、少しずつぼくらは接近していった。そして秋になった頃。そう、確か十月だ。祥子は学生証を失くし、証明用の三分間写真を撮るのだとぼくに告げた。授業の帰りしなに僕らは、街の古い映画館の前にある自動写真ボックスに立ち寄った。中に入って三百円入れると、自動的に三枚撮影する例のやつだ。(中略)

深い緑の匂いと、ヒグラシの声。例えば何年か後に、十九の夏を思い出そうとするならば、今この瞬間の場面が浮かぶのではないだろうか。そんなことを考えながら、ぼくは遊歩道を下った。シトロエンを停めた辺りまで戻り、今度は舗装道路沿いに酒屋を探す。ありがたいことにそれはすぐに見つかった。ポケットの小銭を使いきって、店先の自動販売機でワンカップを三本買う。


わたくしが読んでいるこの本は、
原田宗典著  『十九、二十』(1989年11月15日第1刷)

作者の原田さんは、先に紹介した「十七歳だった!」でもいくつかの自動販売機を登場させています。この小説では「煙草の自動販売機」と「自動写真ボックス」と「ワンカップの自動販売機」が登場します。
このころはもうすでに街中の屋外に自動販売機が置かれ、普通に使用されていたことがわかる。特に、自動写真ボックスについては「例のやつだ」と、読者とその存在を共有するような記述がされている。
私の大好きな映画「アメリ」でも、写真ボックスが重要な役を負っていたことを思い出す。

煙草の自動販売機は曲がり角で、そこには以前タバコ屋があったのではないか。角のタバコ屋というのは非常に馴染みのある印象がある。
また、主人公は酒屋を探すのだが、探し出したそこでは自動販売機でワンカップを買う。はたして彼は酒屋を探したのか。それとも自動販売機を探していたのか。

ラウンジで彼女と飲んだ紙コップのコーヒーも、どうやらカップ式自動販売機によるのではなかろうか。
[PR]
by epole | 2010-03-24 23:05 | 小説にみる自販機


<< 「車イスから見た街」の自動販売機 日本経済新聞電子版を読み始める >>