「私の履歴書 立石一真」の自動販売機その1
ちょうどそんなころ、昭和38年に京都大丸から地階の飲食コーナーに自動券売機を据え付けたいから作ってくれといってきた。それも単純な性能のものでなく、七種類の食券を百円、五十円、十円の三種類のコインを使ってーもちろんその真偽も見分けて、つり銭まで出るものをという。当時としてはなかなか出来そうもない高度な販売機である。しかし、難しいものに真っ先に取り組むというのが私の主義なので、とにかく引き受けた。しかし、これを成功させるには二つの技術開発を必要とした。コインの真偽を見分けるパターン認識と、少なくと三ケタの加算と減算のできる電子計算機である。
前者に付いては、その前の年に“チ37号事件”といって、大量のニセ千円札が横行して警察を悩ませたことがあった。そのとき科学警察研究所から私の社にニセ札発券機開発の要請があり、8日間でそれを作り上げた経験があるので、その技術を使えばよい。後者については全く初めてのことなので、ずいぶん戸惑ったが、ともかくその困難も乗り切った。そして入れた硬貨の合計やつり銭の表示も出来るような自動券売機を七台作って納入した。
一度評判も聞きたいし、お客の反応も見たかったので、お忍びでコーナーをのぞいてみたら田舎のおばあさんがこの券売機を見て「中に人間でも入っとるんかいな」とけげんな顔でながめていたので、私もちょっと得意になった。これは他にも販路が広がると期待したが、案に相違してこの食券自動販売機はその後さっぱり注文がなかった。
(続く)

わたくしが読んでいるこの本は、
立石一真著  『私の履歴書』(日本経済新聞に昭和49年5月連載。「私の履歴書 昭和の経営者群像5」 1992年10月20日1刷)

立石一真氏は、立石電機製作所、現オムロン株式会社の創業者で、この「私の履歴書」は、昭和49年の5月に日本経済新聞に連載されたものであります。
本文によると、オムロンが京都大丸から依頼を受けて、初めて自動販売機に取り組んだのが昭和38年とされています。
この昭和38年(1963年)という年は、日本の自動販売機業界にとって、特筆される年なのでして、同年4月に東京晴海で開催された第5回国際見本市では、アメリカ政府が自動販売機をテーマに展示を行い、同年12月には業界団体である「日本自動販売機工業会」が設立され、これ以降、自動販売機の生産・出荷台数についてもしっかりとした統計がとられるようになります。立石電機でも、同年4月に開発したベンジスタと呼ばれる電子販売会計機と紙幣両替機を開発し、国際見本市へ出品をしています。(参考文献:自動販売機20年史(日本自動販売機工業会))

ところで、「チ37号事件」で偽造された千円札は、聖徳太子の千円札でした。この事件をうけ、昭和38年11月1日、新しく伊藤博文の千円札が発行されました。また、昭和42年2月には、100円、50円の新硬貨が発行されました。
これらの硬貨がその後長期間継続して使用されることにより、主として100円以下の商品を扱う自動販売機の普及が加速することとなります。
(昭和39年に開催された東京オリンピックの段階では、なお100円はお札の方が多く使用されていたというのは、今では想像もつかないことです。それだけお金の価値が違っていたのでしょう。)

立石一真氏の「私の履歴書」には、まだ自動販売機に関する記述が続きます。
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by epole | 2010-03-20 23:13 | 小説にみる自販機


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