「文化論『日本への回歸』」の自發的動機
明治以来の日本は、殆ど超人的な努力を以て、死物狂ひに西歐文明を勉强した。だがその勉强も努力も、おそらく自發的動機から出たものではない。それはペルリの黑船に脅かされ、西洋の武器と科學によつて、危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る爲に、止むなく自衞上からしたことだつた。

私が読んでいるこの文章は「文化論『日本への回歸』」(萩原朔太郎著。豪華版日本現代文學全集26 萩原朔太郎集収録。第1刷發行昭和44年1月30日 第13刷發行昭和51年7月10日)

これまで小説において自動販売機はどのような時期にどのような場面でどのような自動販売機が出現したかの確認を続けており、そのために明治期以降の小説を夏目漱石全集やら森鴎外やらはしからはしまで片っ端から読んでいるのですが、なかなか古いもので自動販売機が登場するものに巡り会うことはありません。いまのところ確認できたところでは、小説としては昭和14年上半期芥川賞を受賞した長谷健さんの「あさくさの子供」がいちばん古いのです。

現在は萩原朔太郎集を読み進めているところですが、今回目に留まったそれは「自發的動機」で、自動販売機ではありませんでした。
「自發的動機」はよくみると「自動販売機」と3文字が重なっていて、いい感じなのだな。でも、意味するところは全く異なる。

ちなみに「自發的動機」を新字体で書くと「自発的動機」。なんとなく旧字体のほうがかっこいいのだな。
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by epole | 2010-03-17 23:22 | 小説にみる自販機


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