「夜を走るエッチ約一名」の自動販売機
さて深夜におけるエッチな本の仕入れ先と言えば、これはもう御存知自動販売機。本屋は閉まっているし、今のようにコンビニエンスストアもない時代であったから、必然的に本の自動販売に落ち着くわけである。確かに自動販売機におけるエッチ本購入には、いくつかの利点がある。まず第一に機械を相手に購入するわけだから、「うッ、ここの本屋は店員がおねえさんだ。エッチな本は買えない!」などと悩む必要はない。ようするに気兼ねがいらないのである。第二に、本屋に比べるとスピーディに購入できる。これもありがたい利点である。しかし逆に自動販売機には、大きな欠点もいくつかあった。最大の欠点は、あまりにも目的がはっきりしてしまう点である。自動販売機で本を買うからには、「百%エッチです」と顔に書いてあるも同然。万が一、購入しているところをだれかに垣間見られたら、言い訳のしようがない。(中略)第二に、自動販売機で売っている本は中身が確かめられない、という欠点もあった。ガラス越しに表紙と題名だけを見て、どれが一番暴れん坊将軍の趣味に合う内容なのか、想像力を全開にして推理しなければならない。しかも前述の通り、自動販売機=純度百%エッチという図式が成立しているわけだから、その前に立ち止まってじっくりと吟味するような行為は慎まなければならない。
(中略)
「うーむ、買いに行くか。しかし面倒臭くもある」ぼくは腕組みをして考え込んだ。もし買いに行くなら、結構大量の小銭が必要である。なにしろ当時の自動販売機は旧式だったので、お札が使用できない。にもかかわらずエッチな本はかなり高価だったのである。(中略)当時、自動販売機で売っているエッチな本は、最低でも三百円はした。高いものになると、九百円という超豪華エッチ本も存在したのである。にもかかわらず、自動販売機自体は作りが古く、千円札が入るようになっていない。(中略)しかも当時は、現在のようにコンビニエンスストアなんて便利なものは無かったから、真夜中に唐突に百円玉の必要が生じても、お札を崩してくれるような場所がなかった。煙草の自動販売機だって、硬貨しか入らなかったのである。(中略)自動販売機に向かって走っている自分の姿が髣髴とする。
(中略)
ぼくは自転車にヒラリと跨がり、夜道を炎のごとく疾走し始めた。目指すは麗しの魅惑のむふむふの自動販売機である。当時、ぼくが住んでいた岡山市下井福という場所から、最も至近距離に設置されたエッチな本の自動販売機までは自転車で約三分。奉還町という商店街からちょっと逸れた、二車線の通りに面した場所である。ここは車の往来は結構激しいが、深夜ともなると通行人の姿は皆無に等しく、エッチな本を購入するにはまさに、「ナーイス」な環境であった。したがって当時、ぼくが所有していたそのテの本の大半は、この自動販売機君の協力を得て、手に入れたものであった。ぼくはほとんど息継ぎもせずにこの場所まで自転車を飛ばし、薄闇の中にぼんやりと浮かび上がっている自動販売機を目にするのと同時に、ファイヤーなペダルの動きをゆるめた。(中略)自動販売機に近づいたところをうっかり誰かに見られようものなら、えらいことになる。何しろぼくの自転車には『操山高校352』なんていう学校指定のナンバーがしっかり付けてある。これを口さがない近所のオバサンなんかに見つかってしまったら、ただではすまない。「操山高校の352って誰だったのかしら。いやだわいやだわフケツだわ。調べてみちゃおうかしらあたし」てなことになり、高校へ電話が入り、その結果としてぼくの存在が明らかにされて「その生徒ったら真夜中に自動販売機で『ぷりぷり乙女のムチムチ日記』っていう汚らわしい本を買ってたのよ。あたし見たんだから。見たんだから見たんだからあ!」などと糾弾され、停学をくらうことになるかもしれないではないか。(中略)いやだわいやだわそんあのいやだわ、でも買うのは止めないわ、気をつけて買うわ、というような内的葛藤の後に、ぼくは前後左右を確かめつつ、自動販売機に近づいていった。幸い、人影はないようである。それを確かめると、ぼくは再び「ファイヤー!」とペダルを漕いでダッシュし、自動販売機の正面に立った。エッチな本は五冊づつ二列に、上から下へと並んでいる。表紙はいずれもエッチエッチエッチ、エッチの坩堝である。九百円の超豪華エッチ本が三冊、六百円のやや豪華エッチ本が三冊、四百円のあたりさわりのないエッチ本が二冊、三百円の格安エッチ本が二冊といった品揃えである。
(中略)
「うわあー、どうするどうする!」耳から煙が出そうになったその時、こちらへ近づいてくる人影が視界の隅をよぎった。ぼくは真っ青になって「いかあーん!と、エッチ本の自動販売機の前から移動した。そこには缶ジュースの自動販売機が置いてある。(中略)自動販売機の中でウィーンと音がして、少し間を置いてから、下の取り出し口に本が落ちてくる。


わたくしが読んでいるこの本は、
原田宗典著  『夜を走るエッチ約一名』(「十七歳だった!」収録。1993年6月24日第一刷発行1994年7月19日第10刷発行)

これはまぁ、壮絶なエッチ本の自動販売機を利用しようとする若者の記録である。いまでこそ、ちょちょいと検索さえすれば、それはもうものすごい、エッチを超越した画像やら動画やらがえっさほっさと見放題な世の中でありますが、当時はエッチな本といえば、自動販売機で調達するのがもっとも普通なやり方だったのだ。

筆者によると、自動販売機でエッチな本を調達することのいくつかの利点から、次の二つを挙げている。
 1 気兼ねがいらない。
 2 本屋に比べ、スピーディに購入できる。
これは若者にとっての最も重要な利点なのだろうが、私みたいな大人が冷静に考えると、実はエッチな自動販売機の利点は次の2点となる。
 1 24時間(夜間でも)販売していることから、必要なときに購入することができる。(日中は販売していないこともあるが。。。)
 2 近所に求める商品を販売していない場合、購入の機会が提供される。
自動販売機で商品を販売する場合、販売者にとってのメリットは「無人で24時間いつでも販売が可能」という点で、その無人ということが、購入者にとって「気兼ねがいらない」というメリットになる。また、筆者も述べているとおり、エッチな商品の購買意欲が高まるのは、一般的に通常の本屋が営業をしていない夜間であり、この時間帯に営業している自動販売機というのは、実にありがたい存在でありました。

また、近所に求める商品が販売されていない場合、自動販売機は、その購入を保証する存在であります。例えば、近年は農村部の本屋の多くは撤退し、本はもはや都市部の本屋に出かけていくか、又はネット通販で購入する時代となりつつあります。あの年間100万人以上が訪れる小布施町にも、本屋は存在していないのであります。
商品を求める機会がない場合、その商品を供給しようと自動販売機が設置された場合、それを規制することは、商品販売の自由、購入機会を奪うこととなります。これはどう考えても憲法に保障された「知る権利の侵害」であることは異論がないのではなかろうかと思うのであります。
その点、一部の人々の、すこぶる真っ当そうな意見を受けて、ほとんど「知る権利」について議論もなく、エッチな自動販売機が一方的に悪者にされて、条例等により強制撤去されていくことに、私は疑問を持たざるをえないのであります。

さて、本書はエッチ本を自動販売機で買おうとする姿を描いたものなので、全編にわたって自動販売機が出現し、文脈をとりながら自動販売機の出てくる文章をすべて引用しようとすると、ほとんど全文を引用しかねないという状況でした。
しかしながら、それでは多分に問題がありますので、本当に、どうにか前後の意味がわかる範囲での最小限の引用にとどめました。
今回引用部だけでも相当興味深い文章となりましたが、中略のない文章は誠に深いものですので、このブログを読んだみなさんは、ぜひ本屋でお求めになりますようお薦めいたします。
近くに本屋がない場合は、自動販売機又はネット販売でどうぞ。
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by epole | 2010-03-01 23:27 | 小説にみる自販機


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