「煙との遭遇」の自動販売機
S本君はやけに落ち着きはらった態度で教室を後にし、食堂脇の藤棚の辺りへと足を運んだ。「おいおい、まさか食堂で吸うんじゃないよなあ。な、な」ぼくは不安を覚えてS本くんに尋ねた。そんなことをしたら一網打尽というか一巻の終わりというか李下に冠を正すというかバラサバラサというか、ともかくもう先生にバレて捕まってしまう。
「あほ、違うがな。食堂の自動販売機でチェリオ買うんじゃが」「あ、なんだチェリオか」「飲みながら吸う。これが通じゃがな。しかも飲み終えた後の空壜は灰皿代わりにもなるという寸法じゃい!」「なるほどおー」
さすが医学部志望だけのことはあって、S本君の作戦は理にかなっている上、奥が深い。ぼくはすっかり感心して、自分もチェリオを一壜買おうと思った。ちなみにチェリオというのはいわゆる清涼飲料水のブランド名で、当時の岡山の高校の食堂には必ずこの自動販売機が置いてあった。味はファンタに似ていたが、量が多い上に値段も安かったので、大変ありがたかった記憶がある。

わたくしが読んでいるこの本は、
原田宗典著  『煙との遭遇』(「十七歳だった!」収録。1993年6月24日第一刷発行1994年7月19日第10刷発行)

十七歳で、煙との遭遇とあれば、それはどうしてもたばこへと発想がつながるわけで、そこで自動販売機とくれば当然「たばこの自動販売機」の出現を予想するわけですが、原田さんのこの段では「たばこの自動販売機」は出現しない。この文章の前段で、彼が高校生にして初めて(教育上よろしからぬことであるが)吸うたばこは、彼の家の奥の六畳の片隅に、彼の父親が灰皿とともに置いたたばこ(銘柄はチェリー)だったのだ。(この際責められるべきは彼の父親であり、彼ではない。ところであえて批判を覚悟しながら言わせてもらうと、このくらいのスキは残さないと、子供のはけ口が奪われ、悪い方向に進むような気がしている。程度問題だが。)
彼が十七歳だったのは1970年代。そのころはまだ、今ほどばかみたいにタバコの自動販売機は巷に溢れていなかったのかもしれない。

高校の食堂には壜のチェリオの自動販売機が置かれていたのだな。いま、チェリオは各地で安めの価格設定をした自動販売機の主力商品として復活しつつあります。それらはペットボトルや缶入りなのですが、壜のチェリオについては、高校サッカー部員や自衛隊で根強い人気だったという泉麻人さんの著作を以前紹介したところです。でも、瓶の口は王冠規格でファンタやコーラの口と同じだから、灰皿にするにはちと小さすぎる。
そういえば私が文京区に住んでいた頃、文京区図書館の脇に、チェリオの壜の自動販売機が置かれていて感動したのを、チェリオを見るたび、つい先ほどのことのように思い出すのであります。
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by epole | 2010-02-28 22:04 | 小説にみる自販機


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