「かたちだけの愛」の自動販売機
彼女はそうして、他の女が、大いに人間的な魅力を発揮し、信頼を得る努力をして、ようやく人からもたらされる「やさしさ」を、自動販売機のボタンでも押すように、まったく手っ取り早く調達することができるのだろう。

私が読んでいるこの文章は「かたちだけの愛(174)」(平野啓一郎著。読売新聞連載中)

朝早く出勤すると、アジ化ナトリウムによる犯罪のことを思い出しながら職場の2本のポットのお湯を入れ替え、あとは朝刊を読み比べているのであります。
数紙の新聞の記事のうちで、唯一たまに読む連載小説がこの平野さんによる「かたちだけの愛」で、本日(平成22年2月26日朝刊)に掲載された一節に自動販売機が登場しました。
とはいっても、それは実体としてではなく、「自動販売機を押す」という行為が、「手っ取り早く調達することができる」比喩として採用されているのであります。

「自動販売機を押す」という行為は確かに「手っ取り早い」のだが、この文章の文字間に表されるとおり、そこからもたらされるものは、ありがたみが少なく、尊くないのだなぁ。
それは自動販売機の宿命なのか。そうではない自動販売機はないのだろうか。

いま考えつく限りでは、若かったころ、人の目をぬすみこっそり利用した雑誌自動販売機は手っ取り早くなかった。でも、でてきた商品には、表紙の割に中身に大したモノが無くて、いつも失望させられたものだなぁ。。。
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by epole | 2010-02-26 19:54 | 小説にみる自販機


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